ポン酢形式

主に解析数論周辺/言語などを書くブログです。PCからの閲覧を推奨します。

a peripatetic aide-mémoire (10)

Introduction:

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矛盾への偏愛.

しかし、ここ数週間は 3B1B (Grant Sanderson) の映像作品 に浸かりまくる一方:

www.youtube.com

そういうことで、今回は intuition (直観) と symbolism (記号) の話でもすこし -- 題して:

「見える記号・見えない意味」

Signifiant the Visible -- 見える記号

彼の映像作品の一連を '一気見' しててつくづく思うのは、概して、記号体系 (signifiant) は優れていればいるほど、数学の直感的で本質的な理解につながりやすい ということです。

... But the point is that, when the notation actually reflects the math, the questions that students are most naturally asking tend to be the ones that cut right into the essence of what's going on.

3Blue1Brown, Triangle of Power, 6:19.

youtu.be

-- しかし、ソシュール派の言語学によるところでは 記号の恣意性 (arbitraire du signe) を避けては通れません。そこで、"How arbitrary do you think our mathematical perspective is, as humans on earth?" という質問に対し、彼は言います:

One thing you can be pretty sure of -- and this might seem superficial -- is that the notation would be entirely different. There's a lot of arbitrary choices and how we write things down.

[...] I think it's really interesting to contemplate other ways where the notation shapes the way we think about it and shapes the axioms and theorems we even choose -- more so than we give it credit for.

Q&A with Grant Sanderson (3blue1brown), available at https://youtu.be/Qe6o9j4IjTo?t=99

そういうわけで、数学の記号体系は十分 arbitrary だといえそうです。*1 -- もちろん、これはそのことが良くないとかそういう話ではなくて、恣意的な記号と、そうでない意味みたいなものにはきちんと区別をつけよう、ということです。

なお青空文庫で読めるものに、物理学者の寺田寅彦

アインシュタインの signifiant 観

について記録しているエッセイがあります:

f:id:zeta_aniki:20210817195755p:plain
The [in]visibility of mathematical concepts.

www.aozora.gr.jp

「見える観念 (イデア*2 ) などと謳うものは、いわゆる '常識' のように穴だらけ」・・現代物理学の革命家でさえ signifiant にはとても批判的です。

Signifié the Invisible -- 見えない意味

ここまでは、いわば 「見えるもの」ばかり なわけですが、さて「見えないもの」についてはどうでしょう?

Alfred North Whitehead (あの Bertrand Russell と Principia Mathematica を共著した英国の数学-哲学者) は次のように述べています:

[...] [Symbols] have invariably been introduced to make things easy. So in mathematics, granted that we are giving any serious attention to mathematical ideas, the symbolism is invariably an immense simplification. ...

This example shows that, by the aid of symbolism, we can make transitions in reasoning almost mechanically by the eye, which otherwise would call into play the higher faculties of the brain.

It is a profoundly erroneous truism, repeated by all copy-books and by eminent people when they are making speeches, that we should cultivate the habit of thinking of what we are doing. The precise opposite is the case. Civilization advances by extending the number of important operations which we can perform without thinking about them.

Alfred N. Whitehead, Introduction to Mathematics, 1911

「頭を使わずに操作できる記号こそが文明を進歩させる」・・これは Whitehead の筆から書かれていることを思うと、かなり深い主張であるように思えます。

-- しかし、我々は緊張した対立を前にしてこそ解決策を見出さなければならない(矛盾への偏愛)!*3

数学の signifié ?

もちろん、これはあの偉大な Whitehead が言うからこそ たいへん微妙なニュアンス がある主張なのであって、これの深い理解にはもっと読書がいりそうです。

それでも、ソシュールの提示した 記号の恣意性 という考え方に従えば、数学の本質の理解につながるのはまさに signifié だと思えるわけです。*4

そういうわけで、記号学から投げかける究極の問題はこれです:

数学から記号を取り去ったら何が残るか?

補題: human language における signifiant の恣意性

いろいろな科学の分野では、それぞれが研究する題材について

[任意の主題] とは何か?

というのをよく考えます。たとえば*5:

  • 数学では「数とは何か?」
  • 生物学では「生命とは何か?」
  • 神経科学では「意識とは何か?」

等々。(もちろん、これらは各分野におけるテーマのほんに一例にしかすぎません (!)。)

ここでは、「数学とは何か」という問いかけを探るため、補題として「言語とは何か」という問題を考えてみます。-- まあ、言語学で考えたからといって、この種の問題が簡単になるわけではありませんが、ここで見つかる補助線には価値があると思います。

さて、まず '言語' と聞いて思い浮かべるのは 発話による意思疎通 でしょうか。私たちが日々の生活で言葉の便利さを一番よく実感するのは周りの人たちとの会話であって、したがって 声を使ったやりとり というのは人間のコミュニケーションの基本を成すといえるでしょう。

しかし、世界には声を使わないやりとりというのも存在するわけです: 手や顔の部位を用いた、手話 とよばれるものです。これは 聴覚 (耳で聞くもの) ではなく 視覚 (目で見るもの) を用いたもので、これを言語の一種と認めるのは当然でしょう。

さて -- ここで考えるべき質問は、「言語の形態はいかに本質的か?」ということです。ここまでの議論では、聴覚を用いたものでも、視覚を用いたものでも言語の一種として認められているわけです: この境界線というのは、いったいどこまで押し広げることができるのでしょうか?*6

この問いに対してはたくさんの考え方がありますが、僕がいまのところ納得いきそうなのが、主に Noam Chomsky によって提案された、言語の本質とは「フォルム」なのではなく、なにか内在的な computation のことである、という考え です。*7

一般に言語学では、このある種の 普遍性 のことを

言語の modality-independence

とよびます*8

さて問題なのは数学の modality-independence -- または、記号学の術語でいうところの、数学における signifié について でした。(個人的な結論にはまだまだ至りそうにはありません!)

先行研究についてですが、たとえば Plato がこの分野では多くの業績を残しており (Cratylus))、この領域の彼の思想には Platonism という名前がつけられています。*9 -- が、しょうじき自分には西洋の classics をもうすこしちゃんと読むという準備が必要そうです。


A quick word about constructionism:

Almost all parents think that it is a good thing for their kids to do something called "learning math" and are therefore in the market for software that will "teach kids math." So far, so good. But what is not so good is that their ideas about what math is, and why the kids should learn it, are so flimsy that they are in a similar position to people who want to buy food for their kids but do not know the difference between nutritious food and junk food.

In my view 99% of what is sold is junk math.

http://www.papert.org/articles/Thewonderfuldiscovery.html

"junk math"! -- これこそ Pascal が言った esprit de finesse の現代版でしょう、というのに指摘されるまでほぼ自分で気が付かなくて、やはり instructionism (習うこと) ではなく constructionism (自分でみつけること) こそ目指すべき学び方だと思った --

ところで Whitehead って教育にもかなり熱心で、たとえばこんなこと言ってたりするらしい:

Whitehead's philosophy of education might adequately be summarized in his statement that "knowledge does not keep any better than fish."[74] In other words, bits of disconnected knowledge are meaningless; all knowledge must find some imaginative application to the students' own lives, or else it becomes so much useless trivia, and the students themselves become good at parroting facts but not thinking for themselves.

https://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_North_Whitehead#Views_on_education

これは Papert's principle とよばれるものを強く思い出させます:

Some of the most crucial steps in mental growth are based not simply on acquiring new skills, but on acquiring new administrative ways to use what one already knows.

https://en.wikipedia.org/wiki/Papert%27s_principle

さらに Whitehead は続けます:

"[T]heoretical ideas should always find important applications within the pupil’s curriculum. This is not an easy doctrine to apply, but a very hard one. It contains within itself the problem of keeping knowledge alive, of preventing it from becoming inert, which is the central problem of all education."

Inert knowledge - Wikipedia

あと Science and the Modern World の第2章:

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Whitehead on the Originality of Mathematics.

こうなるともう 「数学のご縁」 というのもそう遠くはない -- たとえば G. H. Hardy:

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G. H. Hardy on the Significance of Mathematical Ideas.

-- さて、'junk math' を消費するタイプの esprit de géométrie の人たちはどのような感性 [sensibilité] を持つのかといえば:

別の比喩:

www.youtube.com

一方で、Weierstraß もかなりおもしろいこと言ってる:

f:id:zeta_aniki:20210818012556p:plain
Weierstraß on Poésie.

そして Sonja Kowalevsky:

f:id:zeta_aniki:20210820002054p:plain
A Russian Childhood, p.35

あと Einstein:

f:id:zeta_aniki:20210818114343p:plain

たとえば Chomsky の discourse ってたいてい感性を必要とするタイプの observation から始まることが圧倒的に多いので、界隈の一部に理解されないのも無理ないはず !

-- でも Whitehead はたしかに言いました:

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さらに、数学の discourse について:

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偶然でしょうか、Chomsky も まったく (!) 似たことを話しています:

For millenia, scientists had been satisfied with simple explanations for familiar phenomenon. [...] As soon as Galileo and others allowed themselves to be puzzled about these facts, modern science began -- and it was quickly discovered that our beliefs are all senseless and our intuitions are mostly wrong. The willingness to be puzzled is a very valuable trait to cultivate. It's from early education to advanced enquiry.

www.youtube.com

しかし、それを成し遂げるのは真に 'radical' であるといえるわけです (1:01:27~ だけじゃなくて全部聞いて):

youtu.be

www.etymonline.com


Appendum:

日本のコミュニティでフランス語を訳すのが流行ってるらしい? ということで、僕が4月ごろ訳してた The Architecture of Mathematics (Bourbaki の一次文献でいちばん構造主義っぽいこと書いてあるエッセイ) とかしっかりまとめて公開するとか、これをきっかけに「数学徒のための semiotics 入門」やるとか、いろいろ構想を練ってみたり --

Good-bye.

*1:まあ、ここまでは 'それはそう' -- see: https://youtu.be/s6Bzah9lCTo?t=2365

*2:ところでいま Wiktionary 眺めてましたが、もともとの語源って古典ギリシャ語の 'I see' から来てるんですね -- これはやばい: https://en.wiktionary.org/wiki/idea#English

*3:ここまで来ると、やっぱり Ricœur 読まなきゃとか焦りはじめる次第

*4:もっとちゃんとした理由付けを考えてくるのが宿題.

*5:もちろん、このテーマで「芸術」という言葉が思い浮かぶ人は多いと思いますが、ここではなるべく「科学」の領域 [whatever that means] にとどまることにします。-- なお、僕が科学と芸術の折衷云々いいたがるのはこういう背景があるというのはさておきまして --

*6:cf. Incrementalism - Wikipedia

*7:human language の定義 chez Chomsky についてはまたいつか -- たとえば僕が Jacques Hadamard とか Henri Poincaré の creativity についての書き物を読んだころに.

*8:この対談の特に 14:05 以降 -- https://youtu.be/2NsuB9qZvVU?t=699

*9:しかし、実際に当時の文献を読み漁っているとつくづく思うことですが、数学の議論に宗教を持ち込むのはあまり日本人に納得はされなさそうです。

RIMS: 数学入門公開講座 (2021) -- 4日目 (終)

この記事は数理解析研究所で8/2から4日間のあいだ開催されている第42回数学入門公開講座の4日目 (最終日) のノートです。

3日目の記事はこちら:

zeta-aniki.hatenablog.com

計算量理論入門

前回の講義では、「多項式時間/空間」という測量を導入し、時間 (= '手数') と 空間 (= 'working storage') という制限が、問題の難しさを量るのに本質的であることを確認し、様々な問題の難しさを新しく見直しました。

復習すると、ある問題が容易に 解ける (= 多項式時間認識可能である) というのは、'1つでも' 多項式時間で解ける方法 (= 機械) があればよかったわけです。
一方で、そのような機会が存在しないことを示すためには、'どんな方法でも' 解けないということをいわなければならないわけなので、そういった部分に数学的な証明の難しさがあります。

単独での証明はむずかしい -- そこで考えるのが最終日のテーマ「帰着」です。

Definition.          (Polynomial-time reduction)
言語  A が 言語  B多項式時間帰着する とは、多項式時間機械  T が存在して、任意の入力  x に対する  T出力  T(x)
 x \in A \Longleftrightarrow T(x) \in B
を満たすことをいう。 ~~~~~ \bigcirc

 A B多項式時間で帰着することを

 A \leq^\mathrm{P} B

と書きます。このようにして「問題の難しさを 相対的に とらえる」ことが大事です。

また、この不等号  \leq^\mathrm{P} は '多項式時間 (Polynomial time)で  A の難しさは  B 以下' であることを示しているのでこのような順番になっています。(ところで、僕が[歴史]言語学の記法で一番気に食わないのは

 \mathrm{rational} <  \mathrm{rationem} < \mathrm{ratio}

-- のように*1、"右辺は左辺を導く" ということを示す '<' の使い方です。数学にふけっていたころ言語学が好きではないとか言っていたのにはこういう 文化的な違いへの戸惑い があったのです。)

Frobenius 写像の周辺

昨日までは 有限体  \mathbb{F}_p という領域で様々な現象を観察してきました。最終日は講義の '周辺' の部分をみていきます。具体的には次の2つ:

  • Frobenius 持ち上げ: -- Frobenius 写像の、標数 p でない場合の 類似物
  • δ 環: -- 「あまりの構造」(= たし算とかけ算の振る舞い) を用いた ``環構造の復元"

まず、Frobenius 写像を考えることの うれしさ というのは、たし算とかけ算について特別な性質を持っていた (= '環準同型' であった) ためだったことを思い出し、したがって Frob. 持ち上げ  \phi にも同じ条件をまず課します。

また、この持ち上げという操作に Frobenius-like な性質 を与えるため、 \mathrm{mod} ~ p で考えたときの あまり を考察します。ここで、

 \phi (a) ~~~ = ~~~  a^p + (p の倍数 )

とすると、 \delta 構造というのはこの「 \mathrm{mod} ~ p での あまり」について満たすべき性質を公理化したもの、とおくことができます。

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δ-ring

これは、1985年に André Joyal という数学者が厳密な定義を与えたもので、近年では

  • q-de Rham cohomology
  • prismatic cohomology

という対象を研究する上で盛んに取り扱われているそうです。とくに prismatic cohomology というのは Peter Scholze & Bhargav Bhatt によって定義され、2016年 あたりから数論幾何の分野でたくさん注目を集めているということで、まさに 最先端の (!) 研究対象だといえそうです。

ここで、 \delta 環の周辺について読むことのできる文献をまとめておきます。

まず、A. Joyal による原論文 (1985年):

https://maths-people.anu.edu.au/~borger/classes/copenhagen-2016/references/joyal1.pdf

James Borger の Course on Witt vectors, lambda-rings, and arithmetic jet spaces:

https://maths-people.anu.edu.au/~borger/classes/copenhagen-2016/index.html

講義の初日の映像 (特に ~10分前後):

www.youtube.com

Bhatt & Scholze の原論文 (2019年3月):

arxiv.org

Bhatt による、prismatic cohomology についての連続講義 (2018年 秋):

www-personal.umich.edu

特に、Lecture II:  \delta-rings:

http://www-personal.umich.edu/~bhattb/teaching/prismatic-columbia/lecture2-delta-rings.pdf

Matthew Emerton による、上記連続講義 の reading course (2020年 春):

http://www.math.uchicago.edu/~emerton/prismatic/prismatic.html

Terrence Tao による、prismatic cohomology についての記事 (2019年3月):

https://terrytao.wordpress.com/2019/03/19/prismatic-cohomology/

最終日に Witt ベクトルがあまり触れられなかったのが少し残念ですが、それよりも前に読むべきものがちょっと多そうです。-- まあ、読み物の増殖って文献が豊富な証拠なのでいいことだと思いますが --

Good-bye.

*1:2つめの誘導に第3活用に属する名詞のラテン語の対格 -- 特に母音で終わるもので子音幹を持つもの -- を用いた: homo → [ad] hominem

RIMS: 数学入門公開講座 (2021) -- 3日目

この記事は数理解析研究所で8/2から4日間のあいだ開催されている第42回数学入門公開講座の3日目のノートです。

2日目の記事はこちら:

zeta-aniki.hatenablog.com

計算量理論入門

前回までの復習から始めると、まず読み込みに加え 書き込む機能が加わった 有限状態機械のことを チューリング機械 と呼びました。言語を1文字ずつ読み書きしていくという単純な仕組みのチューリング機械がなぜそれほど大事かといえば、ほかにれっきとした「計算モデル」としての資格があるもの -- たとえば、再帰関数やラムダ計算 -- で認識できる言語はすべて「認識可能」のクラスに属する (= モデルがチューリング機械と等価になる) ことが知られているからです。

したがって、チューリング機械は一見シンプルな仕組みをしているものの、情報処理 -- 計算をするということ -- の本質に迫るような仕組みだといえるのです。

実際、この

計算できるということ  ~~~ \Longleftrightarrow ~~~ チューリング機械で認識可能

という壮大な橋渡しには Church–Turing thesis という名前の '予想' が立てられています。

さて、3日目の講義では「多項式時間」という考え方を導入します。これはだいたい '現実的な' 時間で計算可能かどうか を示すもので、チューリング機械の技術的な定義の詳細 (ex: テープの形、読み込んだときの処理) は多項式時間での解決可能性に影響を与えないことから、したがって問題の解決が '現実的かどうか'*1 ということに限らず、問題の複雑さを量る本質的な尺度だとして重要視されています。

問題の例として、与えられた n 桁の自然数 k は素数かどうか判定するものを考えると、これは 1 < m < k について全て調べることにすると、10n 個ほどある候補をすべて試すのには指数時間かかります -- が、2002年になんと多項式時間で判定する方法が見つかったそうです (!):

en.wikipedia.org

また、チューリング機械と多項式時間という2つの概念を使って説明できるのが  \rm{P} \neq \rm{NP} 予想とよばれる主張で、これは連続講義中で取り扱った言葉でいえば

  •  \delta : Q \times \Sigma \rightarrow ( Q \times \Sigma \times {左, 右}) \cup {止} という多価の遷移関数を持つ non-deterministic なチューリング機械によって多項式時間で解ける問題のクラス (= 'NP') は CE クラス (= 'P', 多項式時間のチューリング機械で認識可能な言語の全体) に等しいか?

-- しかし、これらの用語は [非常に大雑把ながら] わかる一方で、これが実際の研究でどういう応用や意味合いを持っているかについてはまだ自分の理解が至っていません。

それでも、一般的に有名だとされる問題であるほど、少し足を延ばして背後の数学的なモチベーションを知るのはとても気分のいいことだと思います

Frobenius 写像の周辺

前回は原始根という概念を定義し、 \mathbb{Z} について観察された現象が  \mathbb{F}_{f(X)} においても成立することを確認しました。今回は有限体上のガロア理論を考えたいということで、そこからはじめます。

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Galois Theory over 𝔽_f(X).

-- ここで  m d の約数。

やはりね、パスカルの三角形とか 3b1b の映像作品*2をはじめ、ビジュアル (= 視覚的な美しさ) というものは感動にすごく本質的だと思う*3 -- そういうわけで、自分がむかし「対応」(correspondence) という現象に惹かれていたのも、おそらく偶然ではない

さて、連続講義の introduction にもある通り、Frobenius 写像は有限体の Galois 理論において大切な役割を果たし、この延長線上には Weil 予想 という数論幾何の有名な予想があります。これは、(3時間目で勉強している) 代数多様体 とよばれる図形 -- たとえば

 X^n + Y^n = Z^n

-- について、[位相的な] コホモロジーという不変量を用いて  \mathbb{F}_{q} 上の解の個数を求めることを試みます。(Frobenius 写像の '固定点' というのがどういうものなのかまだよくわからないので、「有理点」という概念を別の視点から観察することの実感はまだ湧きません。)

また、明日の講義で触れるのに Witt ベクトルの環 というのがありますが、Frob. 持ち上げ (標数 p でない場所での類似物) と組み合わせればもうほぼ  pTeich みたいな雰囲気があります:

An Introduction to p-adic Teichmüller Theory

Good-bye.

RIMS: 数学入門公開講座 (2021) -- 2日目

この記事は数理解析研究所で8/2から4日間のあいだ開催されている第42回数学入門公開講座の2日目のノートです。

1日目の記事はこちら:

zeta-aniki.hatenablog.com

計算量理論入門

一時間目は、前日夜中までいろいろ読み漁ってて疲れてたのでほぼ横になりながら聴いていましたが、オンラインの Q&A での回答によるところでは、一時間目の「計算量理論入門」と二時間目の「Frobenius 写像の周辺」は 京都大学OpenCourseWare に公開される予定 だそうです。

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Open Education and the Equality of Opportunity

京都大学にも OCW があるのは知りませんでした。これからもっと大規模になって、世界の教育に貢献していってほしいですね。

ocw.kyoto-u.ac.jp

Open education 最高!!

zeta-aniki.hatenablog.com

Frobenius 写像の周辺

1日目は整数全体の集合  \mathbb{Z} から出発しましたが、今回は有限体上の多項式環  \mathbb{F}_{p} [X] から始めたときの類似物を考えます。

さて、整数における「素数」は多項式環における「既約多項式」というものに対応します ( f(x) が '既約である' とは、次数  d よりも小さい次数を持つ複数の多項式の積で書けないことをいいます)。似た要領で「素因数分解」は「既約多項式分解」という類似を持ち、存在と一意性を継承します。

 \mathbb{Z} ~~~ \overset{類似}{\leftrightsquigarrow} ~~~ \mathbb{F}_{p} [X]

 p ~~~ \leftrightsquigarrow ~~~ f(X)

素因数分解  ~~~ \leftrightsquigarrow ~~~ 既約多項式分解

今日導入されたもので大事なのは「原始根」という概念です。これは、いま多項式環を既約多項式で割ったときのあまりが定めた可換環  \mathbb{F}_{f(X)} の元  a について定められる概念ですが、これはあとあと

 \underline{\mathbb{F}_{f(X)}} の Galois 理論

というものを考えるときに使われます。(原始根を定義するにあたり考察する「位数」(order) の定義をする部分に入るといきなり べき乗 という操作がたくさん議論されはじめますが、これは有限体の Galois 理論 ( \cong 多項式の[べき]根についての理論) を見越したムーブだということで、今日から明日にかけての講義は代数幾何の諸定理の証明にむけた準備期間だと思うことにします。)

代数曲面の自己正則写像

今回の講義は最初からいきなりすごくおもしろい話が聞けました。

連続講義の全体のテーマは「代数曲面」なわけですが、これは "非特異2次元射影多様体" とかいう別名を持っているので、これを考えるためにまず1次元の射影多様体 -- 射影曲線 -- というものを考えます。

定義より、非特異射影曲線は "1次元コンパクト複素多様体" という構造を持ち、一般に1次元の複素多様体は「リーマン面」と呼ばれます。これは Hermann Weyl という数学者によって定式化された*1もので、たとえば「小平次元」という概念の創始者として知られる著名な数学者 小平邦彦 にとって 複素多様体の調和積分 の研究を始めるきっかけともなり、彼の数学研究にとても大きな影響を与えています*2

さて、講義の初頭にこの文脈で触れたのが「ディリクレの原理」というものです。もともとは調和関数などにまつわる主張をするものですが、Weyl は本講義のテーマにより近い直交射影の方法としての形式化を行いました*3。しかし、Weyl 自身や、何十年も前にディリクレの原理を有名にしていたリーマンが 直観 (intuition) に頼り切った数学の仕方をしていたため*4、Weierstrass (解析学を厳密に定式化した数学者) はこれを強く非難します。

さて、この

直観 ~~ vs. ~~ 形式

という構図は強く「ブルバキ」という名前の由来を思い出させます。というのも、Bourbaki という名前は、もともと

Poincaré に代表されるフランスの直観主義 ~~ vs. ~~ Hilbert に代表されるドイツの形式主義

-- という対立のあったヨーロッパの数学界において、当時のフランスの数学的な雰囲気に反感を持った若い数学者たちが集結したとき、彼らがフランスがドイツに負けた普仏戦争の将軍の名前から取った名前であるからです*5。これは、ブルバキの筆頭メンバーである André Weil が京都賞を受賞した際の記念講演で本人がしている話なので、正しいという証拠は十分にあるといえるでしょう:

Bourbaki had been the name forageneral in the 1870 war between France and Germany. Bourbaki was the name selected to appear as the fictitious author [of] our work. Thus, for many years, anonymity was preserved.

https://www.kyotoprize.org/wp-content/uploads/2019/07/1994_B.pdf

ところで、リーマンが著名なのは解析数論だけじゃない、みたいな、ある分野で特に有名な数学者の他の分野での活躍って気づくともっと自分が読みたい文献が広がるので、そういう視点で数学者の [auto]biography をもっと読み続けたい -- Gauss (数論) とか Poincaré (位相幾何学) も、たとえば天体力学の業績は比較的あまり知られていない一方でとても著しいわけで、過去の偉大な数学者についてもっと詳しく読んでいきたい: 自分が一般向けの講座を聴きに行くのが好きなのは、こういう random な感化で cross-pollination が大いに期待できるから

Good-bye.

*1:Hermann Weyl, Die Idee der Riemannschen Fläche, 1913 -- https://archive.org/details/dieideederrieman00weyluoft

*2:https://www.iwanami.co.jp/files/tachiyomi/pdfs/0063160.pdf

*3:Hermann Weyl, The method of orthogonal projections in potential theory, 1940 -- The method of orthogonal projection in potential theory

*4:https://ccmath.meijo-u.ac.jp/~suzukin/dl/Dirichlet.prob.pdf

*5:そういうわけで、数学というのはまさに「人間らしい」おこないなわけです。概して、イデオロギーというのは「あたりまえすぎて見えない」というのがポイントなので -- たとえば空集合の記号のように。

RIMS: 数学入門公開講座 (2021) -- 1日目

京都大学数理解析研究所 (Research Institute for Mathematical Sciences - 通称 RIMS) で行われる「数学入門公開講座」は今年42回目を迎え、数学最先端の研究を著名な数学者の方々がわかりやすく レクチャー してくださる講義として毎年人気を博しています。

今年はオンラインでの参加です -- 以下、日程:

  • 1時間目: 計算量理論入門 ——「複雑さ」をとらえる
  • 2時間目: Frobenius写像の周辺
  • 3時間目: 代数曲面の自己正則写像

各コマの詳細はこちらへ: www.kurims.kyoto-u.ac.jp


計算量理論入門

まず、計算量理論とは:

-- '計算量' というのは英語では 'complexity' と呼ばれるそうです。ここで気づくのは OLC (Ordinary Language Compatibility: 日常語互換性) なわけですが、すこし聴き流していると「問題」という言葉の使い方について remark があったので先にそちらを:

まずはゆるい定義から:

Definition.          (Computational Problem)
[計算]問題 とは、それぞれの入力 (problem instance) に対して、答え (solution) を  \circ および  \times で 定めたもの。 ~~~~~ \bigcirc

さて、普段の会話で「問題」というと '疑問符 ? で終わる質問のこと' を連想しますが、これは、術語にしたがえば、実は「入力 (instance)」の方のことを意味しているのです。

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What is a 'problem'?

-- 初日の最も注目すべき概念といえば、やはり チューリングマシン でしょうか。具体的な詳細は教科書に任せるとして、僕が一番おもしろいとおもったのは原論文のここの部分です (特に注釈):

f:id:zeta_aniki:20210802234327p:plain
チューリング:余白が足りない

-- 書き込むテープは無限に長いけど、とにかくインクは見分けがつかない

ところで、この論文中の 'computer' というのは 'he who computes' の意味であるそうで、そういうことで computer を指す代名詞には 'he' が用いられているそうです (p.21):

The behaviour of the computer at any moment is determined by thesymbols which he is observing, and his "state of mind" at that moment.We may suppose that there is a bound B to the number of symbols orsquares which the computer can observe at one moment. If he wishes toobserve more, he must use successive observations. We will also supposethat the number of states of mind which need be taken into account is finite.The reasons for this are of the same character as those which restrict thenumber of symbols. If we admitted an infinity of states of mind, some ofthem will be '' arbitrarily close " and will be confused. Again, the restrictionis not one which seriously affects computation, since the use of more complicated states of mind can be avoided by writing more symbols on the tape.

チューリングの原論文はここ:

londmathsoc.onlinelibrary.wiley.com

講座中に使われる1時間目のスライドはここにまとめられています:

www.kurims.kyoto-u.ac.jp


Frobenius 写像の周辺

Frobenius 写像とは、素数  p で割ったあまりの集合  A で行う代数において、ある数  a をとったとき

 a ~~~ \longmapsto ~~~ a^p

とする操作のことを呼びます。これがそれほど重要とされる理由は、 a, b \in A について

 (a+b)^p ~~~ = ~~~ a^p + b^p

という、一見エキゾチックな(!)関係が成り立つということにあります*1。初日の講義では、この関係式は多項式環  \mathbb{F}_p [X] における ``余り付き割り算" ( \leadsto 「体」という構造) を定めるのに用いられました。

-- 数学のイベントに参加するたびに思っているのが、'数学的な性格は見た目に現れる' ことです: この人は数理物理系の人かな -- お、この人は多重ゼータに違いない. でも、いちばん自分がお気に入りの - 同じ場所にいると落ち着く - 人って、やっぱり数論周辺の住人 (denizens) が多い気がします。

なお Friedrich Gauss と Sophie Germain の文通で、Gauss は数論を志す人たちについて次のように述べています:

The taste for the abstract sciences in general and especially for the mysteries of numbers is very rare: one may be surprised; the enchanting charms of this sublime science reveal themselves in all their beauty only to those who have the courage to deepen it.

Germain-Gauss Correspondence, Letter 7, dated 30 April 1807.

代数曲面の自己正則写像

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荘子代数多様体.

-- 荘子は述べました:

機械をもつものには,必ず機械にたよる仕事がふえる。
機械にたよる仕事がふえると,機械にたよる心が生まれる。

荘子 I』, 森 三樹三郎 (訳), 中央公論新社 (2001).

中山先生のおっしゃるところでは、現代数学における

といった概念というのは「便利な道具」としてみる (つまり means であり end ではないという) 捉え方がよいそうで、これらの道具を備えて初めて 整数論 とか  ~ \zeta ~ といった深くなじみのある分野で無双できる、という流れを進む学生さんを多く指導なさってきたそうです。

しかし、これらの技術はあまりに習得が難しいのです -- いわば:

``カンタン" に辿り着くためには、

「山」(= 高級な (!) 数学的技術の集合) を乗り越えなければならない

というわけです。*2

そうして一度冷静になって立ち返ってみると、数学*3 - に限らない任意の '技術' が違った見え方をしてきます。

なお Frédéric Chopin:

Simplicity is the final achievement. After one has played a vast quantity of notes and more notes, it is simplicity that emerges as the crowning reward of art.

Frédéric Chopin - Wikiquote

Good-bye.

*1:実際、中学の数学で (a+b)² "=" a² + b² だったら計算が楽なのにな、と思ったことは誰でもありそうです。

*2:たしかに、中学生のころに整数論から始まって、おととしの夏に会ったときは数理論理学にまで迷い込んでいた友人 G.Ł. を思い出します: "いや、俺いずれは整数論に帰るつもりなんやて・・"

*3:「Fermat の最終定理の証明にあんな道具はいらない」というモチベーションも気になるところです。

a peripatetic aide-mémoire (9)

初めての選挙 -- Or, democracy について

まずは Chomsky:

The smart way to keep people passive and obedient is to strictly limit the spectrum of acceptable opinion, but allow very lively debate within that spectrum - even encourage the more critical and dissident views. That gives people the sense that there's free thinking going on, while all the time the presuppositions of the system are being reinforced by the limits put on the range of the debate.

Noam Chomsky, The Common Good (1998), p.43

en.wikiquote.org

これを思うと任意の候補者一覧が奇妙な見え方をしてきます。*1

有権者の十代ということで考えることがありますが、日本のデモクラシーには他にどんな改善点があるのでしょうか (Is Japanese democracy as mature a form of democracy as it could be?)

以下でたらめ: ここで、たとえば EA (Effective Altruism) を題材に補助線を引くと、英語圏を中心に*2盛んなチャリティー活動が日本では -- 支部が存在するにもかかわらず -- ほぼ名前が知れ渡っていないこと *3 を踏まえると、'自分たちの手で世界をよりよい場所へと導けるような変化を起こせるんだ' という conviction がどれだけ国民の意識に表れているかというのが気になるわけです: 国政の不器用さに動じず、社会運動を起こすことのない日本人の態度というのは、実のところ 典型的に世間から称賛を受ける 「忍耐」 (patience) といった高級な美徳などではなく、個人の authenticity の自棄 に由来する 「服従」 (passivity) の精神 -- あきらめ の心 -- にあるのではないでしょうか

www.youtube.com

問うこと および 答えること について

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Which is more important: a question or an answer?

-- 僕が好きなやつですね: しかし、これが教育学でどういう分類のされ方をしているのかはもっとしらべる (これが constructionism で説明できたらすごい)

ところで、たとえば数学では「予想」の方を重視するわけですが、自分の '問いに対する執着' というのも、もしかしたら数学に熱中してたころからの必然的な結果かもしれない

www.quantamagazine.org

さて、ある数学徒は言いました: '自分にとって、講義中に質問をするのは日常会話よりずっと簡単'

イギリスの大学がより公平であることの1つの理由

The reason that neither he nor I could predict my life, any more than you can predict yours, is that life is not linear; it is organic. My life, like yours, is a constant process of improvisation between my interests and personality on the one hand and circumstances and opportunities on the other. The one affects the other. Many of the opportunities you have in your life are generated by the energy you create around you.

Of course, the whole process can seem very different when you come to write your résumé. You then impose a linear narrative on your life, to make it look as if it was all planned and deliberate. You organize your story around key dates and achievements, with headings in bold and italic, to give the impression that your life has been unfolding according to a sensible, premeditated scheme. You do this to encourage yourself and to avoid giving prospective employers the impression that your life has been the uncertain process of tacking and weaving that most lives really are.

Ken Robinson, Finding Your Element, p.36

-- つまり、線型的でない (カオス的な!) 人生の歩み方を認め、またそれを受け入れる社会が築き上げられているわけです (!) *4

www.undergraduate.study.cam.ac.uk

www.ox.ac.uk

Adolescence et Poésie

On commonce par un citation par Jean Cocteau :

Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité.

Jean Cocteau, Le paquet rouge, 1927

www.babelmatrix.org

たとえば、昇った日に指をさし --「あ、ライオンが来た!」 といったことをいいますが、あくまでこれは

一種の guidance の試み なのであり、

決して だますこと を意味しない

のです。詩人ですね~~

The first response of the teenager is to think themselves uniquely cursed. But the better eventual insight is that true connection with another person is possible yet astonishingly rare. This leads one to a number of important moves. Firstly, to a heightened and more appropriate gratitude towards anyone who does understand. Secondly, to greater efforts to make oneself understood. The sullen grunts of early adolescence can give way to the enormous eloquence of the poetry, diaries and songs of later teenagehood. The most beautiful pieces of communication humanity has ever produced have largely been the work of people who couldn’t find anyone in the vicinity they could talk to.

www.theschooloflife.com

Good-bye.

*1:もっとこわい例を挙げると、たとえば 自分の思考回路 [the spectrum of thought] 自体がすでに知識の不備によって極めて限られてしまっているということです (-- しかし、ここで cognitive/epistemic nihilism に陥るのは Sartrean bad faith)。

*2:https://www.eacambridge.org/

*3:https://www.facebook.com/groups/1763212593794585/

*4:なお日本 --

a peripatetic aide-mémoire (8)

Introduction:

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ゆるゆる美学者 on 高木貞治.


Ethics of Alcohol

日本における任意のコミュニティ (例: テトリス、数学、哲学) に属しているといずれ知り合う大人との付き合いというのは、やはり居酒屋での親交なしにうまくやるのは無理そうです。そこで、未成年である今のうちから、お酒のかかわるような社会的交流について考えておくことにはある程度価値があると思います。

節度を守ればたのしい(のであろう)お酒ですが、すこし道を誤れば深刻な問題を引き起こすこともあるという危険性には注意しなければなりません。*1

そこで僕が大事にしている考え方の1つにあるのが、

任意のルールは、98%守る より 100%守る ほうがはるかに楽

であるということです。たとえば、新しい習慣をつけるときには、毎日完璧にこなす ほうが 数回サボって重くなった腰を上げて耐え続ける よりも気持ちが楽なはずです。

似た要領で、この飲酒の文脈でいえば、規則に対する100%の忠実さというのは「一切の禁酒」を指し、そして僕はこれこそが一番厄介を防ぐのに適したお酒との付き合い方だと思うのです。しかし、僕が相手の人に知ってもらいたいことは、飲酒と友好とは同義語ではないということです: つまり、僕がお酒を避けるからといって、相手と居るのがいやなわけではないことをしっかり明確にしておきたいし、また相手の人も双方の考えを尊重できるような理解のある人であってほしい

なお Nietzsche:

The two great European narcotics, alcohol and Christianity.

Consolations of Philosophy, Alain de Botton, p.173

あと Mary Wollstonecraft*2:

I have formerly censured the French for their extreme attachment to theatrical exhibitions,* because I thought that they tended to render them vain and unnatural characters. But I must acknowledge, especially as women of the town never appear in the Parisian, as at our theatres, that the little saving of the week is more usefully expended there, every Sunday, than in porter or brandy, to intoxicate or stupify the mind. The common people of France have a great superiority over that class in every other country on this very score. It is merely the sobriety of the Parisians which renders their fêtes more interesting, their gaiety never becoming disgusting or dangerous; as is always the case when liquor circulates. Intoxication is the pleasure of savages, and of all those whose employments rather exhaust their animal spirits, than exercise their faculties. Is not this, in fact, the vice, both in England and the northern states of Europe, which appears to be the greatest impediment to general improvement?

Letters Written in Sweden, Norway, and Denmark, Mary Wollstonecraft, pp.109-110

Capitalism and Maslow's Hierarchy of Needs

お酒の話で思い出すのは、この前ふらついてた鎌倉からの帰りの電車のコンパートメント席で耳に入ってきた、2人の新入社員の間で交わされていた会話で、片方は0.5杯で体調を崩すほど体に合わないらしいのは、まあ (明らかに哲学が足りてないだけなので) よくて、問題は残りの会話の内容です: -- G7の参加国であり世界でもより裕福であるとされる日本の金融/経済の中心地である 丸の内 に向かう新入りの若者が唯一考えられていられるのが「次の晩御飯 どこで何食べよう」なのであるとすれば、やはりこの国の社会は何かがおかしい; 資本主義がそれほど嫌われているのは、そこで満たされる欲求というのが 自己実現 (self-actualisation) に一切貢献することがないことに対して知性的な不満が募ることにあるとおもう

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わが恩師にしたがえば、丸の内からの帰りに「帰り、丸善寄ってかない?」といった higher でカルチャーのある会話が交わされるような社会こそ追求すべき未来 (!)

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十読は一写に如かず

先日、御茶ノ水駅の聖橋口前にある丸善で暇をつぶす機会があったのですが、2階にある洋書の棚が狭すぎるので、じゃあ日本語の本でもみてみるかとかいう、どちらかといえばエキセントリックなムーブをしたわけです -- そこで目についたのが 読書についての本 というジャンルで、そこでふと手に取った本が「読書について」と題された、小林秀雄という批評家 (この人これで初めて知った) の本でした。

そこですこしばかりページって目に留まったのが

「十読は一写に如かず」

という言い回し (cf. 百聞は一見に如かず) で、これは日々英語のエッセイに追われている自分に今もっとも響く言葉なのではないかと思います。

さて2年前の春、神保町の某洋書店でダンテの「新曲」の日本語訳が3巻で2200円と安く売られていたのを機に一通り読んだわけですが、訳者まえがきで翻訳家 寿岳文章 は次のように述べています:

[...] 越えて一九一八年の春であつたか、京都の星野書店から、上田敏『ダンテ神曲未定稿』が限定出版されたとき、中学五年生の私は読みたくてたまらず、顔見知りの書店、寺町三条上ル若林春和堂に赴き、事情を話し、貸してもらひ、一晩かかつて写し終わり、翌日返しに行つたことを覚えてゐる。すでに四年生の時から学資の乏しくなつた私には、さうするよりほかは無かつたのである。しかしそのおかげで、今でも私は、その未定稿の、文語・口語さまざまの訳しぶりを、さやかに思ひ出すことができる。

神曲 地獄篇, 寿岳文章 訳, p.7, 集英社.

つまり、100年前の庶民にとって書物というのは今よりもさらに貴重であったものであるはずで、したがって「読む」ことは「書く」ことと親密に関係していた一方で、印刷の技術が進むにつれて出版がより身近なものとなるとともに、読書と写経という2つの概念は次第にその繋がりを失ってきたわけです。

そういうわけで、書くスキルを育むために、本を読むのだけでは足りないようで、真に知識を吸収し文化を継承するためには、やはり紙と筆で書くのがよさそうです。

Signifié 主義

まず juxtaposition をすこし:

  • 音楽における「楽譜」と「音」
  • 数学における「記号」と「概念」
  • 文法における「用語」と「事象」

さて、ゆるゆる美学者氏によるところでは、

  • signifié-like : British empiricism
  • signifiant-like : Continental rationalism

という二元論に注目します。しかし古典をまじめに読まない僕*3 は rationalism と言われてピンとこないので、訊き返してみると 'ration' (分割、割り当てといった意味) という言葉のヒントを示されて電撃が走った: 西洋では古代から

「分割」\leadsto「有理」

ration \leadsto rational

という感覚があるというのに今まで気づいたことがなかった !! (etymology, 強い)

-- さて、坂本龍一に関するエピソードにあるらしいのが、新しい[電子]楽器を試し弾きするときに、ついてきた取扱説明書には一切目もくれずいきなり楽器にとっかかった、という話があるそうで、これは learning theory の constructionism) (構築主義) を思わせます (この記事めっちゃおすすめなので読んでください):

taimur.me

したがって、もし先の empiricism -- rationalism という対立に類似を描き出すような補助線を引くとすれば、

  • signifié-like : exploration / discovery
  • signifiant-like : theory / cover

という比較があるのではないでしょうか。つまり、哲学の構造主義 と 教育学の構築主義 とは、一見 分野としてはかけ離れているようにおもえる一方で、もしかすると signe を通してみてみれば、かなり親密な関係にあるのかもしれません。

なお Chomsky:

A leading physicist who talked right here [at MIT] used to tell his classes,

it's not important what we cover in the class; it's important what you discover.

youtu.be

Good-bye.

*1:たとえば、メキシコ料理店でインド人とするテキーラの飲みくらべで気絶すること。

*2:what a hot take; まーーじで言うこと辛辣すぎて好き

*3:ここで Wittgenstein の名前引き出すのはさすがに自粛