今日の ピクニックの核心 は、ある挑戦に立ち向かうとき、それを認め、受け入れるということ [acceptance] *1 にあったと思う:
- 数学の表記体系 [signifiant] は恣意的 [arbitraire] らしい -- じゃあ、どうする?
- Parole ('言語活動') なしに経験だけで生きてられはしないかもしれない -- でも、大事なのは、ここから。
-- おもえば、3年前*2 の自分はかなりの signifié主義者*3 だったようにみえる:
- 楽譜のないピアノ
- formalism のない数学
当時の自分が「記号のない数学」みたいな oxymoron を耳にしたとして、そのことをどのように考えていたかは、もう今の自分にもアクセスがないのでわからない -- けど、大事なのはそれを受け入れること:
リクールが「他者としての自己」(Soi-même comme un autre) という題を打ち立てたのは、だいたいこういう動機にあるものだということで理解している
https://www.kyotoprize.org/wp-content/uploads/2019/07/2000_C.pdf
Good-bye.
*1:まるでソスュールにカウンセリング受けてるみたいですね
*2:注目すべきなのは G.Ł. が当時すでにこの parallel に気づいていたということ
*3:https://zeta-aniki.hatenablog.com/entry/2021/06/22/214157