ポン酢形式

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鼎談: 横断科目「歴史に学ぶ数学」


6:54 -- 「歴史に学ぶ数学」(≠ ``数学史") という題目の背景:

私が思うに、数学史を授業として扱うことの意義は、科学の限界を知ることも重要だとみとめることにある: --

  • 科学、あるいは数学という、一見反論の余地もないものにおいても、歴史的には、たくさんの紆余曲折を経てきている
  • 科学を、普遍的な、一種の「神格化されたもの」として考えているのだとすると、それに対する反論 (アンチテーゼ) というのはたくさん歴史の中にある
  • 歴史を見てみると、これは歴史的出来事として人間が作ってきたものだという側面がたくさんある

-- そういった発見というのは、歴史を学ばないとなかなかない気がします。

特に、ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ、というストーリーというのは、よくこれを体現していると思います。すなわち、数学というのは全く議論の余地はない、絶対の正しさを持っているものだ -- いえいえ、まったくそんなことはないんです: たとえば、19世紀の初頭になると、ガウスという数学者が、非ユークリッド幾何学というのは理解していたけれども、とてもそれを発表するの気にはなれなかった: どうしてかというと、おそらく大論争を引き起こすから。実際、たいへん論争がおこったり、その歴史の受容の過程は長かったわけで。

-- そういった歴史性をもって、科学や数学をみると、今までとは全然 違った次元 がみえるようになる: そういったところに歴史を学ぶことの意義があるのではないか -- 特に、科学で活躍しようと思っている人には、そういうことをわかってほしいと思うわけです。

Betrand Russell の自伝に、非ユークリッド幾何学について書く場面があります:

All the advances in non-Euclidean geometry had been made in ignorance of the previous literature, and even because of that ignorance.

-- Bertrand Russell, Autobiography, p.133

10:33 -- 限界を認め、受け入れること:

さらに言えば、その限界を知ったうえで、科学というのはとても可能性のある学問なのである、数学というのは広い普遍性を持ったものなのである (!) -- [ただ単に限界、もうだめだ、ということだけではなくて、] そういった限界を知ったうえで、しかし、まだ我々にはわかっていないものがたくさんあるんだ、というところも大事だと思います。

zeta-aniki.hatenablog.com

12:52 -- Myopia への antidote として学ぶ歴史:

「正しさ」ってやっぱりすごく難しいですよね: 数学ですら正しさに関する論争というのはたくさん起こっているわけで -- 数学者というのは、正しさに盲目になりやすい: 特に、職業的な数学者であればあるほど。他の正しさがあるということが見えにくくなっているというところはあります。それは、歴史を見るということによって防げると思うわけです: -- いろんな文明があって、いろんな数学の伝統があって、今は -- たまたまかもしれませんが -- 西洋的な数学というものに席巻されているというような状況になっている: 数学というのは一個だという、強力なプラトニズム が今は蔓延っているわけですが、それだって、もしかすると今世紀後半ぐらいになれば違った状況になっているかもしれないわけです。

数学とは一つであるということ -- これは Nicolas Bourbaki の 原論文 を強くおもわせます:

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感想, observation

-- いやしかし、日本の最先端をゆく領域で活躍していらっしゃるような数学者の、「歴史から学ぶ数学」という観点から与える

Platonism への批判・relativism の賞賛

というのが、いかに striking で目覚ましいことでしょう: ここしばらくは西洋語圏でばかり数学 [の哲学] に触れていた自分にとって、このような 東洋的な気づき には酔いも醒まされる一方です。

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一方で、ここで加藤先生の展開される議論にみられるような、

哲学的な反省から数学的な帰結を導く

という手法はとても興味深いものだと思います: これは、たとえば Hilary Putnam (Harvard 大学名誉教授) との対談で Bryan Magee の指摘する*1ような、

大半の科学者というのは哲学に一切の興味を示さない -- が、真に偉大な科学者だけは例外である (= 彼らは哲学を決して軽視しない)」

という警句を思い出させます。

大半の数学者でさえ同様、すこし哲学らしい話をすれば途端に殉教へ追い込む勢い、いますぐにでもその異教信仰を訟えようとでもいうようですので恐れいります。-- ``数学者というのは、正しさに盲目になりやすい" といったところでしょうか。

-- しかし、大切なのは「その限界を認め、受け入れること」: 数学的普遍論争の最中でも、数学を志す精神の極限というのは、歴史から学ぶ数学の意義を見出すことにあるのではないでしょうか。

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-- Good-bye.