Indifference についての覚え書き (Elie Wiesel)
Elie Wiesel, 1986:
The opposite of love is not hate; it's indifference. The opposite of art is not ugliness; it's indifference. The opposite of faith is not heresy; it's indifference. And the opposite of life is not death; it's indifference. Because of indifference, one dies before one actually dies.
Robert Sapolsky, Humbio 150, Aggression II:
The opposite of love is not hate: the greatest harm you can do to someone who has been a victim of something is to be indifferent to their history, to deny that it has happened, to see it not be an imperative to make sure it never happens to anyone else again, et cetera, et cetera. The opposite of hate is indifference -- applied to physiology here, it is absolutely the case. When you look at what the sympathetic nervous system is doing, when you look at some of the stress hormones, love and hate are not opposites in the slightest -- they are physiologically very, very similar.
What I think that also tells you is how readily some humans psychopathologically can confuse the two states. When you look at some of these brain stem hindbrain spinal areas during these acts, love and hate are not opposites: they are very related to each other.
Elie Wiesel, 1996:
Be sensitive in every way possible.
About everything in life, be sensitive.
Insensitivity brings [out] indifference,
and nothing is worse than indifference.
Indifference makes the person dead before he dies. Indifference means that there is apathy that sets in, and you no longer appreciate beauty, friendship, goodness, or anything.
大江健三郎『新しい文学のために』(1988), 第3章:
シクロフスキーは、言葉による表現に焦点をおいて示した自動化・反射化の話を、日常生活の現場に戻してみせもする。日常生活の実際のあれこれの場面を考えよ。そこで意識が、いま現在、はっきりと気に留めないままに、過去のものとしてしまった事物は、あらためて思い出そうとしても再現不可能ではないかと。それは誰かにそこにあったに違いないが、過ぎ去ってしまえば、じつはなかったのも同然である…… [...]
忘れることがなければ思い出すこともできない、という気のきいた
中井久夫「いじめの政治学」所収『アリアドネからの糸』(1996):
古都風景の中の電信柱が「見えない」ように、繁華街のホームレスが「見えない」ように、そして善良なドイツ人の強制収容所が「見えなかった」ように「選択的非注意 selective inattention」という人間の心理的メカニズムによって、いじめが行われていても、それが自然の一部、風景の一部としか見えなくなる。あるいは全く見えなくなる。
Noam Chomsky, What is language and Why does it matter (2013):
For millenia, scientists had been satisfied with simple explanations for familiar phenomenon. ... As soon as Galileo and others allowed themselves to be puzzled about these facts, modern science began and it was quickly discovered that our beliefs are all senseless and our intuitions mostly wrong.
The willingness to be puzzled is a very valuable trait to cultivate. It's from early education to advanced enquiry.
*1:『ロシア・フォルマリズム論集』現代思潮社
親密な手紙
子供の時、本を読んでいてある言葉を(ある文章を、そして時には本の全体を)、これは自分にあてて書かれている、と思い込むことがありました。十四歳の時、もっと小さい時からそう思っていた岩波文庫『ハックルベリイ フィンの冒険』からの数行を作文に書きました。国語の先生に、しかしこの作者はおまえのことを知るまい、といわれて、口に出さなくはなりましたが、その前後はすっかり暗記し、松山のアメリカ文化センターで原書を見つけると、英文でも同じようにしました。そして私は、その数行にならって生きることを夢想したものです。
大江健三郎「親密な手紙」所収『伝える言葉プラス』(2006)
大江健三郎さんが今月3日に亡くなったという知らせをみみ [= 姉] から聞きました。いま僕が心から実感しつつあるこの悲しみを、
僕には大江さんのエッセイに紹介されて識った本、そして人がたくさんあります。そのなかのひとり、パレスチナ-アメリカ国籍の Edward W. Said という、Noam Chomsky の友人でもあった批評家は、その晩年に白血病と闘うなか、生涯の幕を閉じるまでのあいだ、老いにまつわる
その白血病で死んだ敬愛する友人エドワード・W・サイードという文化論・比較文学の学者についてなら、御存知の方も多いでしょう。[…] 私は同年生まれということもあって長く親しい友人でしたが、とくにこの十数年、往復書簡をかわしたりシンポジウムをやったり、さらに個人的な付き合いを深めることができました。一九九一年、定期健診で白血病を発見されて以降もさらに盛んにおこなったパレスチナ人のための評論活動に私は感銘を受けてきました。[…]
9月に水中書店さんで英語の原書を買っていた、サイードによる On Late Style (晩年のスタイルについて) という本には、個人的な思い出があります。10月に上野へ北欧椅子の展覧会へ行った日 (その日をご一緒できたことを、今でもその日の午後に差していた夕陽とともにうれしく思い返します)、行き帰りの電車で『伝える言葉プラス』という本に収められているエッセイを読んだときのことです。そこには、On Late Style のハードカバー版に、大江さんが推薦文を寄せたことが書かれていました。
その深く広い文化・文学論、ピアノの演奏家だと自称することが不自然じゃなかった、その音楽論、また独自の知識人論、帝国主義文化への批判をつうじて私はかれから教えられました。とくにかれが晩年をかけた、優れた芸術家たちが老年で示す「後期のスタイル」研究は、私自身「後期の仕事」をすべき年齢にさしかかった小説家として身につまされるものでしたし、総体として完成こそしませんでしたがこの仕事についてかれの死後まとめられた本『晩年のスタイル』(岩波書店、On Late Style, [2006, Pantheon Books])には
推薦文 を書くことにもなりました。
大江健三郎「ひとりの子供が流す一滴の涙の代償として」所収『伝える言葉プラス』(2006)
しかし、それを読んでみようと家に帰って確かめてみると、9月に買っていたものは別の出版社からのペーパーバック版で、その背表紙に大江さんの推薦文は見あたらなかったのです! そこで、そのころ椿が咲き始めていた2月上旬の雪の日、六義園での面接の帰り道に、神保町の北沢書店という古洋書店にまで、ハードカバー版をもとめに行ったというわけでした。
ところで、この経緯をお話しするのを良い機会に、大江さんが最も気に入っていた書店であるという神田の北沢書店さんの店長さんに、今までに大江さんが来店されるのを見掛けられたことがおありかを訊いてみたのです。すると、大江さんが神田に通っていた20年ほどまえの当時には、今は絵本が売られている一階に洋新書を扱うお店があり、大江さんはそこに新書をもとめによく来ていたそうで、今の書店長さんは当時から二階の古書店を担当されていたため、直接お話しするということはなかったそうです。それでも、
大江さんはね、英語で書かれた William Blake などの新刊の研究書をお買い上げになっていましたよ、あと Joyce とかね、と親切に教えてくださいました。
《私の番組 [響きあう父と子] のなかに、大江健三郎さんが、長編小説を書き終えるシーンがあります。ノーベル賞をもらった後、大江さんが、自分は最後の小説を書き終えたとも語った、あの作品です。かれは原稿の末尾に "Rejoice" と記してペンを置きます。そのときスペルを間違えて、Rejoyce と書きました。やはり昂奮していた大江さんは、喜びと大作家の名を頭のなかで結びつけてしまった様子です。 この会場へ私が来ることを知った大江さんは、こういいました。「アメリカの知識人たちに、こうつたえてほしい。私は Rejoice の正確な綴りも知っている。」 この式が終った後、私は日本の大江さんとかれの息子光に電話をするつもりです。そして、こういおうと思っています。"Rejoice, my friends!"》
この話にはさらに続きがあります。というのも、帰り道の電車で On Late Style を読んでいると、サイードによって明らかに表現された文体で綴られる批評のなかに、中井久夫さんが日本語に訳された、現代ギリシャの C. P. Cavafis という詩人による詩の、英語訳が引用されているのを見出したのです。それも、去年9月の姉の結婚式を終えたあとに書いていた、自分にとって思い出深い文章に引用していた詩のことが紹介されていたので、喜びはとくに鋭いものでした。
In Cavafy, then, the future does not occur, or if it does, it has in a sense already happened. [...] One of the most dense poems, "Ithaka," is spoken as if to an Odysseus whose journey home to Penelope is already charted and known in advance, so the full weight of the Odyssey bears on every line. This, however, does not preclude enjoyment:
May there be many a summer morning when, with what pleasure, what joy you come into harbors seen for the first time; […]
Edward W. Said, On Late Style (2006), ch. Seven: Glimpses of Late Style
カヴァフィス詩とのつながりは、しかし、それだけではなかったのです、なぜなら Edmund Keeley と Philip Sherrard による英語訳を買った日というのは、冬が明けた深大寺の植物屋さんを訪ねているあいだ、あの枝垂れ桜で知られる、江戸時代から300年以上の伝統を受け継ぐ六義園での春季臨時職への採用通知を受けた、僕に春が本当に訪れた日だったから・・
僕は、Edward Said がその意思の力によって長期的な望みを持ちこたえたように、自分の生涯の精神的父親である大江健三郎の逝去にあたり、僕自身の望みを悲哀に失うことに逆らいたいと思います。この意思の持続によってこそ、僕が大江さんに伝えうる最大の敬意を表現することができると信じるからです。
かれのエッセイ集から学びとったことで、僕がどれほど
そのためにも、まずは、この春に生まれるみみちゃんの子とともにしっかりと直立して生きることを、かれから授かった教えの後継と恩返しの始めとしたいと思います。
そして、咲けば散り、灰と煙に還るという規則にしたがって進む、自然の中の一環としての自分という人間を建設することを志すのです。
最後に、僕が「生きることの喜びを二倍に、悲しみを半分にする」友人たち (Cicero) を選ぶための指標とする、Edward Said によって紹介されたカヴァフィス詩の、中井久夫さんによる -- 骨までが青く染まるような夏のギリシャの空と海が再現された -- 翻訳からの抜粋をお贈りして、大江健三郎に奉げる一通の親密な手紙の結びとします。
イタカに向けて船出するなら 祈れ、長い旅でありますように、 冒険がうんとありますように、 新しいことにたくさん出会いますように [...]
初めての港に着く喜びの夏の朝に 何度も何度も恵まれますように、と。
— カヴァフィス「イタカ」(訳: 中井久夫)
読んでくれてありがとう。
そうなのだ、自分はずっと様ざまな、しかしつねに親密な手紙を受け止めていたのだ、と私は思ったものです。見知らぬ人の書いた文章でいながら、自分に向けられていると深く感じた、それが理由だ、と。そして本がそのようなものとなるのは、想像力が働くからだ。自分も想像力を頼りに、見知らぬ人たちへ親密な手紙を書こう。それが、いまに続いている思いです。
大江健三郎「親密な手紙」所収『伝える言葉プラス』(2006)
うさぎ年の干支けん玉 (2023)
「2022年はこれから自分が一生のあいだに何度も立ち返るであろう、直立して生きるための
Words so powerful don’t need a raised voice or ostentatious tears. Bronowski’s words gained impact from his calm, humane, understated tones, with the engagingly rolled Rs as he looked straight into the camera, spectacles flashing like beacons in the dark. [...]
Bronowski was a rationalist and an iconoclast. He was not content to bask in the achievements of science but sought to provoke, to pique, to needle.
That is the essence of science: ask an impertinent question, and you are on the way to a pertinent answer.
— Richard Dawkins, Books Do Furnish a Life: Reading and Writing Science (2021), ch. 1, Rationalist, Iconoclast, Renaissance Man
R. S. Thomas: A Marriage (私訳)
鳥の音符
が降りそそぐなか
私たちは出逢った。
五十年が経つ:
時の刻みに
従う愛の
半生とは短い。
かれは若かった:
とじてキスをした瞳
が刻まれたしわ
にめざめるまで。
'来い,' と死は言った、
かれを最後
の
に選んで。
そして人生の全きを
鳥の品位をもって
尽くしたかれが
いま
ついた一息は
羽根の軽さと
変わらない
外国語の詩をいまとなって相当な数にのぼるだけ訳していながら公刊する訳詩集を作ろうと考えないのは
二十代のはじめに家内に私家版を贈ったと彼女はいうし、もしかしたらそれを保存しているのかも知れないけどどうしても胸にストンと納得できないところが、一行か一語のレヴェルで残るからだ。[W. B. Yeats の "upstanding" という言葉がある] この一節をふくむ『塔』についても、これからさらに自分の訳を改良してゆくことになるだろう。それは独学者の楽しみでもある。
— 大江健三郎『ゆるやかな絆』(1999) 所収『黄昏の読書 その2』
私はそれからイギリスに行きまして、ロンドンでの会の後、南西部のウェールズ地方にまいりました。そこで地方の芸術祭が開かれておりまして、それに参加したのです。何度も話をしておりますと、疲れてきますし、とくに私は英語がへただということもあり、先方の期待によく応えられないという気もして、しょげてしまって海岸のホテルの部屋で寝そべっていました。ところが主催者の方が私のことをよく調べていられて、大江がしょげた場合どうするかということも私のエージェントに手紙で問い合わせてあったらしいんです (笑)。それに、私の家内か友人がつたえた情報として、こういうことが知らせてあった。大江がしょげた場合は何か珍しい本をやれば元気になる。ここに一冊を持っておりますが、もっとたくさんもらいましたけれども、ウェールズの R. S. トーマスという詩人の詩集です。
— 大江健三郎『日本の「私」からの手紙』(1996) 所収『信仰する人たちもそうでない私らも』
トーマスの詩は、じつにやさしい言葉、素直な構文で
行の切り方、句読点などかれ独自のもので、決して組しやすくはないけれど書かれている。そこで初めての本でありながら熱中して読むこともできたのだが、同時に僕には、それがなかなか読みこなすことのできない、本質的な難しさをそなえた詩であることもすぐにわかっていたのだ。
それであるからこそ
その難しいところを力をつくして乗り越えれば、深く受けとめられるものがある、とも確信できる僕はしだいに熱中し、[スウォンジーの海に向けてそそり立つ岩壁ぞいの部屋の簡易] ベッドから降り立って窓と無用なテレヴィとの間の狭い空間をウロウロしながら、自分の顔が赤く火照 っているのさえ感じた。つまりは居ても立ってもいられないほど昂揚感をあたえられて、
もう間に合わないかも知れないんだがな! と自分の耳に荒あらしく響く声をたてて嘆きもしたのだった。
— 大江健三郎『ゆるやかな絆』(1999) 所収『黄昏の読書 その1』
今日で終わりということ / 不思議な気がするね (大江健三郎)
光のような人、いや 光そのもの というべき人たちがいる: 自分が深く沈みこみ、暗い態度を抱えているなか、それでもなお 賞賛すべき、ただしいものすべて について肯定的でいつづけた、光のような人が: --
-- 沈みを重く纏った人からして, しかし, 輝かしいものはなんとひどく 攻撃的 に見えてしまうことだろう!: 狭窄洞窟の枷から解放されるにあたりつんざく目の痛み、これについては Plato & Mary Shelley も同じ観察をしていたのではないか ?
My father was enraptured on finding me freed from the vexations of a criminal charge, that I was again allowed to breathe the fresh atmosphere, and permitted to return to my native country. I did not participate in these feelings; for to me the walls of a dungeon or a palace were alike hateful. The cup of life was poisoned for ever; and although the sun shone upon me as upon the happy and gay of heart, I saw around me nothing but a dense and frightful darkness, penetrated by no light but the glimmer of two eyes that glared upon me. Sometimes they were the expressive eyes of Henry languishing in death, the dark orbs nearly covered by the lids, and the long black lashes that fringed them; sometimes it was the watery, clouded eyes of the monster as I first saw them in my chamber at Ingolstadt.
My life, as it passed thus, was indeed hateful to me, and it was during sleep alone that I could taste joy. O blessed sleep! often, when most miserable, I sank to repose, and my dreams lulled me even to rapture. The spirits that guarded me had provided these moments, or rather hours, of happiness, that I might retain strength to fulfill my pilgrimage.
— Mary Shelley, Frankenstein; or, The Modern Prometheus (1818), Ch. XXI, XXIV
でも、いずれ大地が煙るとき、僕らは鳥たちの声を失うことのないように、真の勇気とは恐怖の不在ではなく、恐怖を克服することそのものであると、よくよくおぼえておこう。
イタカに向けて船出するなら
祈れ、長い旅でありますように、
冒険がうんとありますように、
新しいことにたくさん出会いますように [...]
初めての港に着く喜びの夏の朝に
何度も何度も恵まれますように、と。
— カヴァフィス「イタカ」(訳: 中井久夫)
-- Good-bye.
横須賀: チョソンジン ピアノリサイタル (2022)
今回の演奏では特に 「音符の無い部分の音楽」が凄かった、とどなたかがツイートしているのをみて、-- ああ、すごくわかる: Seong-Jin Cho 独特の音の伸ばし方、dynamics/articulation の区別はもちろん、ペダルの足音 (Scherzo 2 最後の crescendo, Brahms: Händel variations 24 の転調 etc)、alveolar-sibilant な息遣いといったものがそう
珍しくP席だったので気付いた事
— S☆ (@12_so_music) August 25, 2022
ソンジンくんって結構唸り声出る。スーって言ってた。
顔にあまり汗かかない。少なくとも髪が貼り付くほどじゃない。良い悪いじゃないけどパフォーマンス的には有利な気がする。
私の席から見たサラ髪の天使の輪っかはハート形でした❤️
以上酔っ払いの戯言(早よ寝ろ)
去年10月のポーランドでの演奏 (28:22-) にはこの「記号以外」の全部が入ってる (B♭の唸り声, 一番高いFの足踏, A major までのペダル, 演奏全体にわたる数ミリ秒の調整, ...):
Scherzo 2 はおととい Händel のあと encore で聴いたときは「お話を語ってさしあげましょう」の passage 以降がもう ヘンデル風 にしか聴こえなかったけど、
4 Scherzi の一環として聴いた今回はもう Chopin 作曲の音がしたね: たとえばコーダの中声部で右手の親指をきかせるのは2015年のときもそうだったのを思い出すし (2:14-)、
でもおとといの3周め/今回の2周めのときは、leading seventh のコード進行はすでに一番最初の和音 (シ-ファ) からもう始まってるんだってすごく気がつかされた -- のにはさらに続きがあって、和音に分かれる前のオクターブでも中声を きかせる のなんて初めて聴いた (quelle interprétation intelligente) !
あと Waldszenen No. 3 でペダルをすごく軽く踏んで弦が解放されるギリギリの音を Steinway で出すとまるでフルートのような 吹奏 がきこえるの (録音でもよく注意すれば聴こえるけど会場で聴けばもっとわかる; Händel HW440 の途中, Ravel の une pavane 最後の和音でも同じ聴こえ方がきれいだった)、あれは einsame Blumen が風に揺られていたね:
-- そういえば帰り道の海辺にも風が吹いていたよ
たとえ翌日の東京では雨が降ってもね、
この雨は皆んなの涙だよね😢
— 💎じゅえる (@jewel_me_) August 28, 2022
さみしい。ソンジンくん…
そんくんがきれいな空を飛んで無事に帰れますようにってお願いしたよ
Seong-Jin Cho: Händel, Brahms, Schumann & Chopin
もはや 形容-encryption なんて必要ない:
2階の左右側の席だったけど、反対側に向かって座っていた列の人たちが演奏後に感動で泣き崩れたお互いの顔をみられない程度には十分に遠かった -- それに、マスクをするという予防のもと開かれた演奏会だった -- のがなぐさめだったね
インスタでどなたかがご感想書かれていたけど、ソンジンくんのコンサートは「聴けて良かったね〜、幸せだねー」で終わらない。「一緒に死ぬ覚悟はあるか」みたいに迫られると。すごくよくわかる。それなのにこんな天使のような笑顔で・・・(酔いが回ってきました) pic.twitter.com/DmXmAflw04
— tappy (@tappy_0411) August 25, 2022
最後はご飯食べて ねんねしてねーのジェスチャー♥️そしてばいばーいって戻っていった。もうね、あんなすごいの聴いてあんな可愛いの見たら誰も動けないよね。もう一度言うけど大好きだ。そんさまが大好きだ。興奮しても落ち着いてもそう思う。霧のように飛び散る汗と長い前髪が夢のように綺麗だった。
— しゅーべると (@balladeballade) August 25, 2022