R. S. Thomas: A Marriage (私訳)
鳥の音符
が降りそそぐなか
私たちは出逢った。
五十年が経つ:
時の刻みに
従う愛の
半生とは短い。
かれは若かった:
とじてキスをした瞳
が刻まれたしわ
にめざめるまで。
'来い,' と死は言った、
かれを最後
の
に選んで。
そして人生の全きを
鳥の品位をもって
尽くしたかれが
いま
ついた一息は
羽根の軽さと
変わらない
外国語の詩をいまとなって相当な数にのぼるだけ訳していながら公刊する訳詩集を作ろうと考えないのは
二十代のはじめに家内に私家版を贈ったと彼女はいうし、もしかしたらそれを保存しているのかも知れないけどどうしても胸にストンと納得できないところが、一行か一語のレヴェルで残るからだ。[W. B. Yeats の "upstanding" という言葉がある] この一節をふくむ『塔』についても、これからさらに自分の訳を改良してゆくことになるだろう。それは独学者の楽しみでもある。
— 大江健三郎『ゆるやかな絆』(1999) 所収『黄昏の読書 その2』
私はそれからイギリスに行きまして、ロンドンでの会の後、南西部のウェールズ地方にまいりました。そこで地方の芸術祭が開かれておりまして、それに参加したのです。何度も話をしておりますと、疲れてきますし、とくに私は英語がへただということもあり、先方の期待によく応えられないという気もして、しょげてしまって海岸のホテルの部屋で寝そべっていました。ところが主催者の方が私のことをよく調べていられて、大江がしょげた場合どうするかということも私のエージェントに手紙で問い合わせてあったらしいんです (笑)。それに、私の家内か友人がつたえた情報として、こういうことが知らせてあった。大江がしょげた場合は何か珍しい本をやれば元気になる。ここに一冊を持っておりますが、もっとたくさんもらいましたけれども、ウェールズの R. S. トーマスという詩人の詩集です。
— 大江健三郎『日本の「私」からの手紙』(1996) 所収『信仰する人たちもそうでない私らも』
トーマスの詩は、じつにやさしい言葉、素直な構文で
行の切り方、句読点などかれ独自のもので、決して組しやすくはないけれど書かれている。そこで初めての本でありながら熱中して読むこともできたのだが、同時に僕には、それがなかなか読みこなすことのできない、本質的な難しさをそなえた詩であることもすぐにわかっていたのだ。
それであるからこそ
その難しいところを力をつくして乗り越えれば、深く受けとめられるものがある、とも確信できる僕はしだいに熱中し、[スウォンジーの海に向けてそそり立つ岩壁ぞいの部屋の簡易] ベッドから降り立って窓と無用なテレヴィとの間の狭い空間をウロウロしながら、自分の顔が赤く火照 っているのさえ感じた。つまりは居ても立ってもいられないほど昂揚感をあたえられて、
もう間に合わないかも知れないんだがな! と自分の耳に荒あらしく響く声をたてて嘆きもしたのだった。
— 大江健三郎『ゆるやかな絆』(1999) 所収『黄昏の読書 その1』