ポン酢形式

主に解析数論周辺/言語などを書くブログです。PCからの閲覧を推奨します。

a peripatetic aide-mémoire (3)

縦書きの和文を読むとかいう奇行 -- (本を貸していただきました):

茂木健一郎 『脳と仮想』 | 新潮社

  • '数という仮想:'
    • デデキントによる「連続性」の定式化: c.1860 と同じように、たとえば:
    • ヒルベルトによる「証明」の定式化: c.1900
    • ブルバキによる「構造」の定式化: 1939/1957
    • -- みたいに、けっこう数学の術語ってかなり長いあいだ厳密な定義なしにふわふわして使われてたかもしれない
      • ところで、Russell と Whitehead の Principia Mathematica とか眺めてると、数学の証明ってどういう仕組みで自然言語が書けるようになってるの? って思い始める
      • もちろんここで連想するのは Wittgenstein をはじめとした日常語言語学派で、読みましょう
    • 「[任意の概念] とは何か?」っていう質問、投げかけた時点で芸術と科学の折衷主義を構築しにいく感じがあってすごく好きなんだけど、こういう質問が嫌いな人がいるのはわかる
  • '(章のタイトルわすれた):'
    • 第一言語に自分のものじゃないかもしれない感がでてくるみたいな内容だったの、ほぼ Ricœr じゃん (後述)
    • 前回の 'Transpersonal psychology' のひとがいってた言語っていう概念の構成 (自己-他者 dichotomy に入った区切り) が気に入ってて、何か似たものを感じたかもしれない

Schematism, Subconscious Self, and Ideology in the history of mathematics

  • 株価市場とかで、なんらかの '重要な出来事' が起こらずともある程度の変化が起こったりすることがあるらしくて、さて行動経済学
  • Jonathan Haidt も '人の意見を変えるのは誰の仕事でもなくて、もし人の行動を変えたければ、subliminal な changes がいちばんうまくいく' みたいなこと言ってた
  • この流れで連想するのは Cédric Villani が [どの講演だったか思い出せない] で話してた流体力学の定理/パラドックス/etc
    • 5/13 追記: Scheffer–Shnirelman のパラドックスというものだそうです -- 以下、2008年の Séminaire Bourbaki からの引用:
    • Le paradoxe de Banach–Tarski est parfois qualifié d’“énoncé le plus surprenant de toutes les mathématiques”. Dans le domaine de la mécanique des fluides, si un théorème peut prétendre à ce titre, c’est à coup sûr le paradoxe de Scheffer–Shnirelman, selon lequel un fluide (non visqueux, incompressible) peut brusquement décider de s’agiter frénétiquement, sans qu’aucune force extérieure ne lui ait été appliquée. En fait cet énoncé est peut-être encore plus troublant que celui de Banach–Tarski, car il ne repose même pas sur l’axiome du choix. . . http://www.bourbaki.ens.fr/TEXTES/1001.pdf

  • オランダで1970年代にあった Chomsky-Foucault debate でも human nature の文脈でまったく同じ現象がみられるってあった (ex: first language acquisition)

Cédric Villani -> Henri Poincaré

  • I. 最近 Mathematics is the Poetry of Science という本を読んでて、付録にある Poincaré の essai で、数学の研究って conscious-subconscious-conscious (つまり: 集中-発想-作業) の繰り返しって書いてた -- つまり、いちばん画期的な発想をするのは注意の向いた自己ではないことが多い
  • 数学に限らないことだろうと思うけど、散歩してるときとかお風呂はいってるときにいろいろ思いつくことたくさんある (英語で俗にいう 'shower thoughts')
    • iPS細胞の山中伸弥氏はお風呂場で思いついた (http://www.kyoto-up.org/archives/1253)
    • ベンゼン環 (?) を思いついた人 (?) も夢の中でクモの巣がでてきた etc
    • たしかに、数学の研究所の周りって世界中どこでも、中で散歩できるような庭園みたいなのを備えている傾向にあるってきいた (とか Andrew Wiles も散歩中に何かひらめいたはず)

直観主義形式主義, 普仏戦争, とBourbaki (要検証)

  • II. 初期現代の 'フランスの数学' といえば Poincaré をはじめとした Intuitionism が主流で、それに対抗してたのが 'ドイツの数学' で Hilbert をはじめとした Formalism -- つまり:
    • フランスの直観主義
    • ドイツの形式主義
    • -- という dichotomy があって、フランスで形式主義的な数学を志していた、まだ結成してなかったころの Bourbaki のメンバーはこれをよく思わなかった
    • そこで彼らは団結し、秘密結社を立ち上げた -- そしてグループ名を、フランスがドイツに完敗した普仏戦争 (1870-71) のときの軍司令官 Charles-Denis Bourbaki になぞらえ 'Bourbaki' と名付けた (-- らしい: めっちゃ citation needed)
      • The group's namesake derives from the 19th century French general Charles-Denis Bourbaki,[3] who had a career of successful military campaigns before suffering a dramatic loss in the Franco-Prussian War. The name was therefore familiar to early 20th century French students. Weil remembered an ENS student prank in which an upperclassman posed as a professor and presented a "theorem of Bourbaki"; the name was later adopted.

      • https://en.wikipedia.org/wiki/Nicolas_Bourbaki
      • en.wikipedia.org
      • もちろん挙げられてる参考文献をあたるわけですけど、André Weil の autobiography ということで読みます
      • www.amazon.com
  • ここ2週間まじでずっと Slavoj Žižek おもしろすぎて聴いてるので、「空集合の記号レベルで現代の数学に基礎的な部分にまで浸透してるほど影響力の強い Bourbaki が、実は政治的思想にめっちゃ帯びまくった左翼コミュニティだった」とか考えちゃいますね
    • まあ、ideology って「あたりまえすぎて逆に気づかないほどどこにでもある」のがポイントなので、その意味でこの名前の由来が歴史的に正しければよりおもしろい
      • The essence of ideological statements is that, unless our political senses are developed, we will fail to spot them. Ideology is released into society like a colourless, odourless gas. It is embedded in newspapers, advertisements, television programmes and textbooks – where it makes light of its partial, perhaps illogical or unjust, take on the world; where it meekly implies that it is simply stating age-old truths with which only a fool or a maniac would disagree.

      • https://en.wikipedia.org/wiki/Status_Anxiety
    • 数学と政治 -- pure mathematics とかいうプロパガンダ、数学の普遍性/外適応性からするとただの幻想なので
      • en.wikipedia.org
      • Cédric Villani の mathematical philosophy もかなり好きになるかもしれないのでもっと読む (!!)
      • にしても「外適応」という言葉、'純粋数学' を en soi (それ自体の) 美以外のために研究する動機付けのいい説明になるし、というかまず laypeople に "素数は美しい" とかいったところで研究費くれるわけないし、とにかくもっとはやれ ってかはやらせる
    • 他の例でいくと、Darwinism とかただの 'just-so story' (https://en.wikipedia.org/wiki/Just-so_story) だっていえちゃうところとか、causality と correlation は知らないうちに混同されているのがおおいかもしれない: ある時代の研究者の多数が認めたあたりで理論として成立することがあるあたり partisan politics とあまり変わらない -- あと Amazon review で読んだのは人間行動学はユダヤ人のための学問って書いてる人いて、合掌

制圧と創造性 -- 言語学者ってだれ

  • Foucault-Chomsky debate (さっきの) で Chomsky が最初のほうに言ってたのが、"a fundamental element of human nature is the need for creative work [...] without the arbitrary limiting effects of coercive institutions" っていうので、そこから anarcho-syndicalism まで展開してく
  • これって Bertrand Russell と意見が違うのかなーっておもってた
  • 数学 -- 特に素数周辺の数論 -- って「制限から生まれる創造性」の究極だとおもってる: 素数っていう一見不規則な対象でどれだけ acrobatic で creative に遊べるかみたいな感じで、つまり一般化や制限の緩和だけがいいわけじゃない
  • ところで、Chomsky しかり Pinker しかり、言語学者って言語学の業績で有名になるわけじゃないことがほとんどだと思ってる一方で、そういう学際的なリッチさをそなえる言語学ってすごく魅力があってかっこいい

Ipsity

  • 「道徳から応用倫理へ」で読んだ Ricœr の翻訳に関する章でもあったけど、言葉の '再帰的な反省,' つまり「自国の言葉に異国さを見出すこと」っていう、数学でいうところの endomorphism (自己射) みたいな意味での翻訳 (まあ、つまり「言い換え」) って理解の指標にもなるし、したがって自己の理解 (構造主義の主題) にすごく大事
  • ipsity ってぜんぜん trivial じゃないよね~~

Riœur, Wittgenstein, André Weil, Henri Poincaré, Cédric Villani と読みたいひとが増える一方で、こういう忙しさの幸せって生涯で経験するもののうちでいちばん楽しい -- 人と会う前後、講座期間中の京都、神保町から帰ってきた晩

Good-bye.